2015.09.12

<企画外>丑三つの村を尋ねて

by しちょう 


中国地方の山間部にある小さな集落に点在する墓地。

そこには昭和13年5月21日と刻まれた複数の墓石が肩を寄せ合っている。

2時間足らずで寝入っている村人30人を殺害した、犯罪史上前代未聞の殺戮事件があった村。

犯人は夜が明けるとともに自害し、村人も多くを語ろうとせず、今でも謎が残る事件である。

山奥深くにあるその村は、70年を経た今でも、時間が止まったかのようにひっそりと存在している。

被害者の血縁関係のある方が、代々今でも住み続けていることもあって、興味本位で訪れるのは不謹慎とは思うけど

歴史を知る。という意味で、書物等である程度の知識を得た上で訪れてみた。


中国道「津山IC」で降りた後、国道をひたすら北上し、因美線「美作加茂駅」を越えたところで、県道68を西に入り、

その後、細い村道を田畑や山林を左右に見ながら、クネクネ奥深く進んで行くと、ようやくたどり着いた「貝尾」の標識

実は出発前日、てんげんさんが神戸に帰省しているらしく「明日はどこか走るんですか?」と連絡があった。

「岡山の山奥に行く予定だけど、一緒に行く?」・・・ってことで二人で行くことになりました。

「70年前に惨殺事件のあった村に行くんだけど、本当にいい?」


そのまま50mほど進むと、村道は二股に分かれている。

この2本の道は、村を囲むようにして伸びており、やがて合流する。

その囲まれた農家郡が、西加茂村にある行重地区の貝尾という1集落である。

拡大地図で見るとこんな感じ。なんにもない。


村を過ぎると、その先は通行止めになる。

ムリすれば、峠は越えられるが、オフ車でもきつそうな急坂・峡路・大荒れの道。

(その峠が犯人が事件を起こした後に、猟銃で自分の腹を撃ち抜いて自害した場所らしい)

従ってこの村には、村の関係者以外に入り込む「よそ者」はいない。

たまたま迷い込んだドライバーやライダーか、あるいはこの村を心霊スポットと考えて冷やかし半分で尋ねる輩くらいだろう。

村民にとっては忘れたい、触れられたくない事件だろうから、村自体が「よそ者」に対して警戒するように、空気が重たく感じるのは気のせいだろうか?・・・


よほど事前調査しておかないと通り過ぎてしまうほど、何の目印もない。

そして二股村道を右に入り、貝尾の集落に入ります。


右に進んだ方向から撮った写真。

村全体が斜面になっていて、坂を登って行く感じ。

右手に集合墓地が見える。


村の端まで走ったコース。200mくらい?全体がずっと上り坂になっている。

(帰りはエンジン掛けずに惰性で走ったほど)

現存する民家は20戸くらいに見えた。(不正確です)

走ってるうちに、ちょっと焦る。上り坂で道幅も狭く、Uターン不可。

(まさか行き止まり。ってことはないだろうなあ・・・)

そのうち二股で分かれた左の村道に合流するはずだ・・・

ずっと奥まで進むと、やっぱりまさかの行き止まり。それも砂利道。(ゲっUターンできねえ!)

その行き止まりは、1件の農家の敷地内だった。

上り坂の砂利道。それも幅が狭い。バイクから降りて、押し歩く。(最悪立ちゴケ覚悟した)


と、少し離れた畑の中で、しゃがんで作業をしていたお婆さんがスクっと立ち上がって、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。

「あんたら、興味本位でこの村ん中をうろついとると、祟りがあるでや」

・・・・と、なぜか、そう言われるんじゃないかと思い身構えた。

「あんたたち、津山に行きんさるね?」

「すいません。道間違えちゃって・・・」

「このまままっすぐ行ったら県道にでるけん」と、指をさす方向は藪の中に消えていくあぜ道のような急坂道。

自転車だったとしても躊躇するような山道だ。

「やめときます。引き返しますんで・・・」

もとの二股地点までなんとか引き返し、休憩。

こうやって、津山事件の勉強会は幕を閉じた。

帰りは、広域農道で作用までのんびり走って、作用ICから中国道。竜野社ICで、てんさんと別れました。

ところで、興味があって訪れようと思う人(いねえか・・・)。

「よそ者」はすぐわかります。不審がられずにそっと訪れて下さい。写真撮影も控えめに・・・


<補足>

1.事件を再現した映画「丑三つの村」(主役=犯人役の古尾谷雅人は後に自殺)

2.事件をヒントに書かれた小説・映画「八墓村」

3.参考書籍:津山三十人殺し、ミステリーの系譜(松本清張)、津山三十人殺し七十六年目の真実、その他

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